私、この度、大河ドラマに出演することになりました!!
「八重の桜」
6月16日放送予定 第24回『二本松落城』
私はこの中で、長州藩士の白井小四郎という方を演じさせて頂きます。この方をご存知の方は、かなりの歴史通だと思います。もちろん私も知りませんでした。新選組祭りのお手伝いをされている広瀬さんはご存知でしたが…(広瀬さん、さすがです!)
ただ、この白井小四郎という方、不思議な方で、なぜか敵方である二本松市に埋葬されているのです。
それはなぜか?
今回は、二本松少年隊の悲劇にまつわる白井小四郎のお話をご紹介したいと思います。
以下、「ねこきゅう」というサイト内で書かれた文章の引用です。かなり詳しく、分かりやすく書いておられます。是非是非お読みください。
(「ねこきゅう」管理人の越路遼介さんから許可を頂いて掲載しております。越路さん、ありがとうございます!!)
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戊辰戦争で奥羽越列藩同盟に加盟していた二本松藩(丹羽氏10万7千石)は、奥羽の玄関・白河口まで主力を送っていた。ところが官軍は、常陸・平潟に上陸し棚倉・三春藩を攻略、二本松に押し寄せた。わずかな戦力だけであったので残る老武士と少年で急ぎ守備隊を編成した。少年は、12歳から17歳までの63名が戦い、内16人が戦死しています。
少年隊と言うと、会津の白虎隊を思い起こす人が多いでしょう。今なら高1、2年の16歳と17歳の少年達を編成して「白虎隊」として、その悲劇は広く伝わっていますが、二本松は年齢層がなお若い。
木村銃太郎(22歳)の率いる少年隊は、城下南の要衝である大壇口に布陣。官軍に向けられた大砲は、隊長の号令一下、轟然と火を吹いて、激戦が開始された。
野津道貫(薩人・日露戦争時の第4軍司令官)の回顧談に
「兵数不詳の敵兵は、砲列を布いて我軍を邀撃するのであった。我軍は早速之に応戦したが、敵は地物を利用して、おまけに射撃はすこぶる正確で、一時我軍は全く前進を阻害された。我軍は正面攻撃では奏功せざる事を覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し、辛うじて撃退することを得たが、怨恐らく戊辰戦中第一の激戦であったろう」(『近世国民史』)とある。後に野津は会津戦も参加しているから、かなりここでは苦戦したことが窺える。
しかし少年たちの陣地は高台にあったとはいえ、畳を胸壁にしただけの粗末なもので、官軍の猛烈な砲撃、銃撃に死傷者続出した。木村隊長も腰を銃撃され、介錯を副長に命じた。少年達が号泣する中、首を斬りおとすのに、3回刀を振り下ろさねばならなかったという。
いよいよ退却に移ろうとしたとき、陣のすぐ間際まで肉薄してきていた官軍の一部隊が、突入してきた。少年達は、即座に白刃戦の態勢に入った。ところが、先頭きって突入してきたしゃぐま(獅子頭)を被った隊長らしき人物は、少年たちの様子を見るや、足を止め大刀を持った両手を広げて後続の兵の突進をとどめた。
「おはんら、子供じゃったとか。よう戦いもしたのう。さあ、早う退くがよか」
この薩人らしき武士のおかげで、少年たちは大壇口から退却することができた。斬り落とした隊長の首は思いのほか重く、疲れ果てた少年の身では1人で運ぶことができず、髪を2分して2人で手に下げて運んだと伝わっている。
木立の間を隠れるように城をめざすと、城下はすでに敵で充満していた。藩主の菩提寺・大隣寺へ行くとすでに敵兵がいて銃撃された。首を携えていた二人は戦死した。ここで各自勝手に落ちることとなった。(柄にもなく、以後、史実に沿って小説風に述べてみたいと思います)
成田才次郎は、家に戻ったが誰もいなかった。途中官軍の部隊にも会ったが、放心状態の一人の少年を相手にしなかった。城下のいたるところで、薩長軍が略奪を繰り広げているのを見た。「何が官軍か、あいつらは奸賊、盗人だ」すでに城から噴煙があがっていたが、城に向かう途中に叔父と会った。女達は米沢を目指したということを教えてもらった。叔父が握り飯と水をくれた。朝から何も食していなかった才次郎は夢中で腹に入れた。こんなうまい飯は初めてであった。叔父の話によると才次郎の母親も米沢に向かい、父はまだ白河で生きているであろうから、自棄をおこすなと言う。「才次郎、お前もワシと一緒に来い。お前はよく戦った、もう充分だ」
叔父が目を離している隙に姿を消した。才次郎の瞼の裏は、友人達の苦悶の戦死の姿と、尊敬する隊長の介錯のシーンが焼き付いていた。
「奸賊は許さない。命あるかぎり隊長と友人達の仇を討つんだ」との思いで彼の頭の中は一杯であった。
才次郎は、父に剣術について教えてもらった。それは、すばやく突くことだけであった。二本松藩には代々『必殺を期すには、斬らずに突くべし』という刀法が伝わっていた。その由来は、浅野内匠頭が吉良上野介を討ち損じたことを聞いた時の二本松侯・丹羽光重が、「斬りつけずに突けばよかったものを!」と悔しがった話から、それ以来、二本松藩においては『斬らずに突け』が伝統となっていた。
前方から隊列を組んで官軍の一隊が来た。才次郎は昨夜、興奮で陣地では一睡もしなかった。爆風で出血しており、疲労困憊で足元も定まらぬ才次郎を見て、いくさで頭のおかしくなった少年だと思ったのであろう、兵達は憐憫の思いで眺めながら、左右にわかれて道をゆずってやった。才次郎は、ふらつきながら中ほどにいたしゃぐまをかぶった隊長とみられる武士に、すれ違いざま抜刀するや、渾身の力をしぼって腹部に突いてかかった。相手はその場にどっと倒れ、彼もかさなるようにして倒れた。隊長は「待て、刺されたのはじぶんの不覚、この少年を殺すな」と叫んだが、この声は部下に届かず、才次郎は銃殺された。才次郎・享年14歳でした。
この長州の隊長の名前は、白井小四郎(31歳)といい、奇兵隊出身ですね。亡骸は二本松の真行寺に埋葬された。この時、長州兵から才次郎の最後の様子が語られ、住職に「遺族にも伝えよ」と伝言し、それが語り継がれています。
「お前は二本松一番の勇士だ、わしは誇りに思う」と、戦場から生き永らえて帰った才次郎の父は、お盆や命日には、息子の眠る墓に語りかけたというが、その前には、必ず白井小四郎の墓参りを忘れなかったとのことです。
(「ねこきゅうコラム」より)
以上。
今回はここまでにしておきます。
次回は、実際に私が白井小四郎の墓参りに行った時のエピソードをご紹介します。ここでも面白い出会いがありました!ご期待ください!!
コメントをお書きください
佐々木 るり (金曜日, 14 6月 2013 08:29)
二本松市真行寺の佐々木です。
その節は父の短くないお話にお付き合いいただき本当にありがとうございました。いよいよ明後日の放送ですね!
楽しみにいたしております。
多田広輝 (日曜日, 16 6月 2013 11:52)
ありがとうございます!
あの日は突然の訪問にも関わらず、あたたかく迎えて頂き、本当にありがとうございました。
今日いよいよ放送ですが、どこまで使われるか分からないのでドキドキです。
よろしかったら観てくださいませー。
また遊びに寄らせてもらいます!
じん (日曜日, 16 6月 2013 21:23)
八重の桜!見ていたら…あれ?このお方は滝野川の土方さん!?と、定かじゃなかったのでブログを見に来ました~とーってもカッコよかったです(*´∀`)
多田広輝 (月曜日, 17 6月 2013 09:54)
ありがとうございます!!
でも、滝野川の土方でなく、近藤ですよー♪
しかし、よくぞ見つけてくださいましたー。わざわざコメントもありがとうございます!
じん (月曜日, 17 6月 2013 20:04)
すみませんっ( >_<)
近藤さんと思いつつ 打ち間違えてました( ;∀;)
多田広輝 (月曜日, 17 6月 2013 21:43)
いえいえ~、お気になさらず!
正井良治 (火曜日, 18 6月 2013 11:45)
はじめまして、正井といいます
ドラマ拝見しました。白井小四郎の役、実際の史実もこうだったのだろうなとイメージできる演じ方だったと思います。ありがとうございます。
野津道貫(薩人・日露戦争時の第4軍司令官)の回顧談は更に、二本松の二勇士の話へと続きますが、残念ながらこれはドラマの脚本にもなかったようです。
戊辰戦争では、攻める側と守る側との間に戦後の交流へとつながる色々なエピソードがありました。長州藩士白井小四郎と二本松少年隊士との出来事、山川健次郎や飯沼貞吉を長州藩士が援助した話など枚挙にいとまがありませんが、薩摩藩士と二本松の二勇士の話も当時の日本人の生き様がよく現れていると思います。
一視聴者 (火曜日, 18 6月 2013 12:43)
ドラマ見ました。ごく短い時間のご出演でしたが、いい台詞でしたし、武士らしさに感動しました。ドラマの中で悪役だった薩長のイメージを救ったと思います。多田さんの演技によって白井小四郎の名を知りました。
多田広輝 (火曜日, 18 6月 2013 18:51)
正井様
もったいないお言葉、本当にありがとうございます。
今回、資料を介して白井小四郎と出逢い、会話し、白井小四郎の視線を感じながら撮影に臨みました。
大河ドラマのような大舞台で、このようなロマンチックな体験が出来たことは、とても幸運でした。正井さんのコメント、本当に励みになります。ありがとうございます。これからも精進致します。
多田広輝 (火曜日, 18 6月 2013 19:04)
一視聴者様
コメントありがとうございます!
ほんとに、ほんとに役者冥利に尽きる、とはこのことです。嬉しいお言葉、ありがとうございます。
生きる素晴らしさを、もっともっと表現したいっ!!…です。
一視聴者さんのお言葉を励みに、これからもまだまだ精進致します。
村木 政寛 (火曜日, 18 6月 2013 19:36)
始めまして、村木と申します。
佐々木るりさんのフェイスブックから拝見しました。
私の両親の仲人が会津藩、士中一番隊のご子孫でして会津の教え、二本松藩の教え、そして両藩の悲劇の結末を幼い頃から聞かされていましたので、時代錯誤と笑われるかもしれませんが鹿児島、山口、薩長の皆さんには良い印象は有りませんでした。
しかし先日の八重の桜を拝見し考えを変えていただきました!
白井小四郎は雑誌の「乱」だったと思いますが知っていました。
ただ、やはり良い印象を持てなかったのですが、この放送で日本全国、サムライはサムライ。
薩長にも立派な侍が居たんだな~と思いました。
鹿児島、山口の方は多田さんに感謝しないと駄目ですね!
多田さんの演技素晴しかったです!ファンの端に加えてくださいね(笑)
これからも応援しています!
池永恵 (火曜日, 18 6月 2013 21:16)
歴史が大好きで、大河ドラマも毎回楽しみに拝見しています。
この回で一番気になったのが『白井小四郎』さんです。
私は大河ドラマには、主役はいないと思っています。
主役を支える方々(登場人物)の生き様の深さが視聴者を魅了していると思います。
18日 短い登場のシーンではありましたが、白井さんのシーンは、心にぐっとくるものがありました。
これからも頑張って下さい。
ありがとうございました。
多田広輝 (火曜日, 18 6月 2013 23:01)
村木様
ありがとうございます!!
会津にゆかりの深い方に、そこまで言って頂けるとは…。本当に嬉しい限りです。
白井小四郎のお墓がある真行寺の佐々木住職に会いに行きました。住職は突然の訪問にも関わらず、親身になって、白井小四郎について多いに語ってくださりました。
なんとこの方、白井小四郎がいかに素晴らしい武士なのか、長州まで講演しに行ってらっしゃるのです。住職から聞けたお話は、今回の役作りのうえで、とても役立ちました。佐々木住職の貴重な助言あっての役作りでした。また、NHKの担当ディレクターである一木さんも、名も無い私の提案をほぼ全て受け入れてくださり、また的確な助言もくださり…、スタッフの方々もかなりフランクにアドバイスをくださいまして…、まぁとにかく今回の撮影に関しては本当に周りの方々に支えられて、成り立ったと思っております。
「感謝」は、その支えて下さった方々に対するのが、適当かもしれません。本当に有難かったです。
…まぁ、ゴチャゴチャ言いましたが、でも、とにかく素直に嬉しいです!見ず知らずの私に(あ、見てらっしゃいますね…)丁寧なコメント、本当にありがとうございます!これからも、応援して頂ければ嬉しく思います。よろしくお願いします!
多田広輝 (火曜日, 18 6月 2013 23:10)
池永様
ありがとうございます!!!本当に嬉しいコメント頂きましたっ!
あんな小さい出番でよく覚えて下さったなぁ〜、細かいところまでよく見てくださってるなぁ〜、と本当に感謝です。作り手の端に加わった者としては、とても有難い視聴者様です。
私は演技をするうえで、役の大小は関係無い!といつも思っています。まぁ、私のような役者は、脇をやることが多いので、こう言って自分を励ます意味もあるのですが…。池永さんのコメントで、その信念に確信が持てます。たとえ少数でもそう言って頂ける方がいれば、生きてけます!ありがとうございます!!
これからも池永さんのような方が見てくださってると信じて、どの役にも1000パーセントで臨みたいと思います。
これからもよろしくお願いします!!
池永恵 (水曜日, 19 6月 2013 16:32)
多田様
お返事ありがとうございました。
日にち間違いのお詫びもあり、再度コメントさせていただきました。
16日を18日の入力間違えをさらりと流して下さる、懐の大きさステキです。
演技同様、多田さんのコメントに胸が熱くなりました。
多田さんのコメントに私の方が元気をいただき、一言お礼を言いたくて。。。
本当にありがとうございました。
PS.
再度のコメントが長くなり、申し訳ありません。
多田広輝 (木曜日, 20 6月 2013)
池永様
またもコメント、ありがとうございます!!
俺のコメントにそこまで言って頂いて、本当嬉しいですー。
池永さんのコメント、全然長くないですよー!長いのはむしろ嬉しいですよ。というか、俺こそ長いですもんね。
またいつでもコメントくださいね☆
お待ちしております!
きのこ (月曜日, 01 7月 2013 18:19)
多田さんはじめまして。きのこと申します。
ドラマの感想が中心のブログを書いていて、先日『八重の桜』の「二本松少年隊の悲劇」の感想を書いたところ、訪問者さんからこちらを教えていただき、白井小四郎さんについて知ることができました。それを知ってこの回を見返すと、感動が一層迫ってきました。魂のこもった演技と、愛情溢れるブログ、ありがとうございました。
このドラマ大好きなんですが、時には山口県方面の方からご不快の声もあるようです。白井小四郎さんの話が多くの方に知られることは、戊辰戦争にまつわる無意味な県民意識を越えるのに役立つように思います。
どうぞお元気で、今後ともご活躍ください。
多田広輝 (火曜日, 02 7月 2013 14:41)
きのこ様
コメントありがとうございます!!
きのこさんのブログ読ませて頂きました。描写が素晴らしいですね。ほんとに!改めて感動して、つい目頭が熱くなってしまいました。
すごく細かく見てくださっていて、作り手の隅っこに加わった者としては本当に本当に嬉しく思います。
ありがとうございます♪
私も、役者としての責任を忘れず、精進いたします。
今後ともよろしくお願いします!
樹 (木曜日, 11 7月 2013 20:22)
はじめまして
大河ドラマをいつも見ています
白井さんのことは全く知らず
八重の桜を見て知りました。
どこかのサイトで多田さんが色々と調べて二本松にいっていらっしゃると見ました・・・
役のためにすごいと思いました!
とても詳しく調べていて
感動しました!
これからも頑張ってください!
多田広輝 (木曜日, 18 7月 2013 09:08)
樹様へ
コメントありがとうございます!!
とっても嬉しいです。
役作りのやり方は、人それぞれですが、私の場合は、ここだけの話、趣味も兼ねてしまってます♪
実在した人物へ想いを巡らせながら、ゆかりの地をまわる!なんと楽しい旅でしょう♪♪♪
こうやって、作品を通すことによって時空を超えた出会いが出来る、というのも役者の醍醐味ですっ。この間の舞台では性別を超えてしまい、一線を越えてしまうところでしたが…。
樹さん!役者にはホントに嬉しいコメント、ありがとうございますっ!!これからも頑張りますっ!今後ともよろしくお願いしますねー。
箕輪門 (火曜日, 28 4月 2015 11:51)
はじめまして。偶然たどり着いたのですが、少年隊で才次郎さんとご一緒だった銃太郎隊の成田達寿、虎治が先祖に当たるものです。ちょうど来月に久しぶりに二本松に行って大隣寺へお参りをしようと思って色々調べておりましたら、ブログを拝見しました。才次郎さんのお話は私が幼少の頃から語られておりましたので、白井小四郎さんという方はどんな方だったのだろうと思っておりました。私はあまりテレビを見ないので、八重の桜という作品は聞いていたものの、見ていません。すみません・・・。しかしこれを期に興味がわきました。多田広輝 さんの演じられた白井小四郎さんはどんな方だったのでしょう!ぜひ拝見したいと思います。(だいぶ時代に乗り遅れた遅いコメントですみません・・・)
多田広輝 (火曜日, 28 4月 2015)
箕輪門様へ
コメントありがとうございます!!!乗り遅れなんてとんでもないですっ。コメントは、いつ頂いても嬉しいものです。ありがとうございます。私も久々にこのページを見て大変懐かしく感じております。
私は、恥ずかしながら、白井小四郎さんという方がどういう方か、この役を頂くまでまったく知りませんでした…。調べてみてもあまり詳しくは資料が出てきません。
しかし、長州藩なのに、敵方であるはずの福島で墓がまつられていること、そのこと自体が、この方を雄弁に物語っていると思いました。今回演じるにあたり、それが私の大切な大切な「鍵」となりました。きちんと表現できたかどうかは分かりませんが、きっと情に厚い方だったと思います。白井小四郎さんに失礼のないよう、魂こめて演じさせて頂きました。
この大河ドラマ、本当に素晴らしい作品となっていますので、今度、お時間のある時に、是非是非ご覧くださいね〜♪
zobacz osobiście (土曜日, 18 11月 2017 01:21)
mikropora